10月 22 2017

ツアー・オブ・ニューカレドニア、レースレポート

世界中のアマチュアレースの中で最もステージ数が多い、10日間で12ステージを重ねるツール・ド・ニューカレドニアに出場してきた。天国に一番近い島と呼ばれるニューカレドニアは初めてではない。もう3回目なんだが、ヨーロッパのレースと違う雰囲気がすることでいつも最高に楽しい2週間が過ごせる。レースが終わったあと、伝統的な伏屋に泊まったり、地元の方々にご馳走を用意していただいたり、真っ白な砂浜でゆっくりしたりすることがこの2週間の日常生活。

しかし、甘いレースでもなくて、参加人数が60人ほどに限られているため、毎日激しい展開が繰り返す中、10ステージ、10回逃げ切りになる。特に、ステージレースの少ない日本で活躍している若手選手には、とてもおススメな経験。毎年、元プロ選手の福島兄弟が監督するボンシャンスを連れていて、今年も日本人選手は6人参加していた。

私は、2013年と2014年、アンダー1年目と2年目の頃に参加したことがあって、思い出の多いレースだ。2014年は、毎日激しいアタックをコントロールに努めて、総合リーダーのチームメイトを引っ張って総合優勝を果たしたこともある。しかし、個人的には、ステージ9位、8位、7位、5位、4位、3位、トップテンの順位に何回か入ったことはあるが、2位と1位だけには届かず、やり遂げる必要を感じて今年3回目の出場を決めた。

第1、2、3ステージ、ウベア島での開幕

最初の3日間は、ウベア島という天国に似ている環礁で平坦ステージが行われた。各チームが地元の家庭に世話してもらって、毎晩伝統的な伏屋に泊めて頂いた。ご飯は、村の広場で集まって、市民の人たちが作ってくださった料理を、主催者、記者、審判、選手、レースの関係者全員、毎日一緒にご馳走した。

コントロールしにくいステージレースでは、第1ステージは、総合ランキングを決めることが多いので、最初からアタックに加えてチームメイトと2人で14人の勝ち逃げに乗ることが出来た。有力選手全員入っていて、タイム差が2分40秒まで広げてスプリント勝負になる。残り1キロのところ、現在フランスU23チャンピオンのラフェー選手が単独アタックして、チームメイトがコントロールしてくれるので、完璧な展開になりそう。しかし、残り500メートルのところ、スプリントを始めるときにチェーンが落ちるせいでペダルが外れて、路面に当たっていきなり落車。表彰台が見える時点で落車するなんて最悪だし、これから残り11ステージは傷だらけのままの出走になってしまう。結果は、仕方なく14位だが、タイム差は優勝者と同タイムにしてもらう。

第2ステージは、12キロの個人TT。タイムトライアルが苦手ということで、特に狙うステージではないが、総合に大きい影響を与えると予想されるので、全力で挑どむことに。しかし、機材の移動が遅れるせいでスタート時間も遅れることになって、自分のスタート時間が知らずに1分40秒遅れの出走。結果は、3分半ほど失って、総合14位のまま…

第3ステージは、必ず逃げに乗って優勝に絡むという作戦で出走。第1ステージと同じく、脚が非常に良かったが、スタートから何回かアタックを繰り返しても、中々決まらない。50キロほどのところ、位置を少し落としていたタイミングで7人が飛び出してそのまま決まる。最悪…後ろの集団スプリントに加えてみるも13位。

第4、5、6ステージ、北の端っこまで

翌日はヌメアに戻って休日。金曜日から、ヌメア辺りから北部までの上がりが始まる。道路は一本しかないので、3日間にわたってずっと同じ道路を走る感じ。

休日は休むことが出来たが夜は傷が痛すぎて徹夜をしてしまった。そのせいで第4ステージの調子は最悪で1日集団の後方でのんびりすることに。チームメイトが勝ち逃げに乗ってくれて1分半先行して、総合6位に上浮。私は集団スプリントで違う方向に先導されてしまったが集団と同タイムにもう一回してもらった。

第5ステージは130キロほどの最長距離。チームメイトが入った逃げが再び先行して、タイム差が徐々に広がる展開に。2分、3分、4分…後ろはリーダーチームがコントロールできない。アタックが再開した最中にチェーンを落としたせいで千切れて、車を使うのが固く禁止されているレースなので二度と戻らないかと思い込んでいたところ、最後の力を尽くして登りで飛び出して奇跡的に復帰。その時、タイム差は5分まで広がっていた。有力選手のアタックに何回か反応するも、追走集団が形成されない。残り30キロ時点で、遂にばらけてくると脚が終わってしまって、後ろのグルペットで完走。チームメイトが追走集団に6分程の差をつけて、見事に総合2位に上浮。私は11分遅れて16位に撃沈。

第6ステージでリベンジして必ず逃げに乗ると決心。30キロ程アタックを繰り返した末、やっと逃げる。しかし3人だけ。タイム差を早くだけ広げようとして、30秒まで開くも、山岳賞の登りで有力選手のアタックで集団がばらけて、アタックの最中で吸い込まれる。逃げていたせいで6人のできた先頭集団に入れず、追走集団に位置を取る。しかし追走にはリーダージャージを発見!チームメイトのためにコントロールして、総合首位に上浮!私は11位。

第7、8、9ステージ、総合優勝を目指しての走り

チームメイトがマイヨジョーヌ!しかしチームは彼、私、集団に残る力すらないもう一人という3人に限るので、きつい日々が予想される…第7ステージは3,5キロ、平均勾配11%のアモス峠を含む、ハードなステージ。序盤から、アタックが続く中、総合に絡む選手をチェック。しかしチームメイト本人を含む10人ほどの逃げが形成される!最高だ。しかし、少したってから、小さな登りを使って他の有力選手が飛び出して先頭集団が20人弱に。それはまずい、私も飛び出してみて、先頭に合流。そのまま山岳賞が続くアップダウン区間に入る。先頭集団が絞ってくるが今日は脚が良い、峠を先頭で超えられそう。しかし、下り区間で先頭から総合2位と4位の選手が差をつけてそのまま先行。すぐに先頭に出て集団を引っ張るが、次の登りに入るとカウンターされる。ずっと20メートルぐらい遅れて登って、頂上付近でやっと追いつくも、ギアを変えたら、チェーンがいきなり落ちてしまう…後ろには誰もいなかったし、回復する時間もなかったので、追いつくことはできなかった。追っていた集団がどんどんと差を開けて1分半先行でゴールして、チームメイトが総合2位に戻る。ミスをしていなければ、レース展開が変わって、マイヨジョーヌを守っていたかもしれない…自分の大ミスで反省。

第8ステージは、総合首位ではなくなったので攻撃的な作戦に復帰。何回かアタックに乗るも、また良いタイミングが見つからず5人を逃がして毎日と同じくそれが決まる。ステージ最高位を上げるために6位争いに絡んでみようと思って、残り2キロの左抜カーブでいきなり2度目の落車。砂利があって何故か自分だけが滑ってしまった…(そして後ろの2人も巻き込んでしまった)。しかし1回目の落車で回復しきれなかった傷に加えて更に傷がついた私だけが立ち上がれない…ディレーラーハンガー、ディレーラーが壊れているが何とか完走。しかし前回と同じく、午後は個人タイムトライアルもある…第9ステージの13キロの個人TTは、傷のままスペアバイクで完走。もう走る気がない…

第10,11,12ステージ、悪夢のような閉幕

次の第10ステージは山岳ステージ。自転車は直せない、翌日にヌメアで解決できることを祈ってスペアバイクで完走するしかない。しかしスペア―バイクは10速に11速のホイルを付けた自転車…最初の40キロは、平坦だがダンシングができないし横風区間もあってしんどかったが何とかクリア。しかし峠にぶつけると腰が痛すぎて、身体がダメすぎて、すぐに千切れる…翌週の群馬に向けて無理をせずに楽なペースで完走をすることに。結果は、50分遅れて最後位、総合19位から39位へ撃沈。

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10月 04 2017

ツール・ド・ニューカレドニア!

今日は、ツール・ド・ニューカレドニアに出場するために、ニューカレドニアのヌメアヘ旅立ちの日!

先週末、地元の檜原ヒルクライムの開催をサポートする東京ヴェントスの代表として、先導をさせていただきました。レースのときは自由走だったので、調子を確認するために前向きに動くことにした。急勾配が始まるところでアタックして、都民の森を単独で登って、最後の1キロで捕まったが、出走人数が600人を超える中、プロの頃の調子が戻りつつあることを確認できた!そして東京付近で30キロのラインレースを開催できるなんて、最高に楽しい!

今晩はヌメアに着陸する。その後の3日間を回復に専念して、土曜日と日曜日は100キロと80キロのラインレースが予定される!調子の仕上げに使うつもりだ。3年前優勝したことがある大会だが、本番であるツール・オブ・ニューカレドニアはあと一歩届かないことが何回かあったので、今度はきちんと本番でステージ優勝を持ち帰りしたい!

ツール・オブ・ニューカレドニアは、来週の木曜日(12日)から翌週の土曜日(21日)の10日間で行われる。ボンジャンスの参加を含めて、日本人選手は6人も出場するので、応援をよろしくお願い致します!

そして、最後戦の群馬はピークでJPT復帰を図っているので、最後の目的は得意な群馬のコースで勝利を果たすこと!

さて、出国まで残り9時間!バイバイ!

9月 25 2017

JPT 前橋クリテリウムー赤城山ヒルクライム 25位

Jプロツアー第18戦、前橋クリテリウム

先週の秋吉台ロードレースに続いて、今週末前橋クリテリウムと赤城山ヒルクライムの群馬県2連戦が開催された。どちらも得意なレースではないが、最近の調子が良いので、有利な展開に持っていくことができれば、チームとしては結果が残せると思いながらレースに臨んだ。

とはいえ、スタートする40分前ほどのコース試走でヘアピンコーナーの立ち上がりで攻めてみたところ、チェーンが滑って転びそうになって、何回全力で踏んでみても、結果は変わらず、クリテリウムレースに欠かせない加速力は全く使えない状態。

新車の新しいチェーンに古いスプロケットの組み合わせがダメなのが原因かと思っていたが、ホイールを何ペア使ってみても、解決しない。原因を探す時間はないので、今日のレースに参加しないチームメイトの平野さんに自転車を貸して頂いて、ローラーで5分のウォーミングアップをして、そのまま集団の最後尾で出走。

自分の自転車ではなくても集中していつもの走りをしようと思ったが、その考えが甘かったとすぐ分かる。最後尾で、ブレーキが逆、クランクが短い、変速が違う、そしてサドルを4.5センチも上げた自転車でクリテリウムを走るのは、全く楽しくない。

レースの前半を我慢したが、ギリギリ完走するだけなら、やる気がないしブレーキングが危ないと思ってレースを降りることにした。

調子が良いときに、テクニカルで得意なクリテリウムレースを自分の走りが出来ないことはとても悔しいが、チームをまとめるという私の役目を全く果たせなかったのは、一番の反省点。仕方ないと言っても、こんな姿は見せたくなかった。チーム全体の失敗(走りをまとめられず、その結果上位に誰も入らなかった)の責任を引き受けている。

という結論の上で、翌日のヒルクライムで本当の走りを見せる気を出して、そのまま自走で赤城山の下見をしてきて、5時起きなので早めに布団へ。

Jプロツアー第18戦、赤城山ヒルクライム

赤城山のコースは、前半の勾配が緩くて、空気抵抗の影響が大きいので、最初の9キロぐらいを集団の中部で脚を回す作戦。予想通り、マトリックスが先頭でペースを作ってくれて、集団内ではかなり余裕。しかし周りの選手も同じ状態で集団がなかなか縮まらない。残り15キロになってくると、脚を使わずに少しづつ前方へ上がり始める。残り12キロ、森に入るときは、20番手辺りで位置を取っている。マトリックスの佐野選手が少しペースアップに努めるが、まだ少し余裕。勾配がきつくなって、強度も少し上がってきて、集団が遂に30人、そして20人ぐらいに絞ってくる。

大きな動きがあったのは残り8キロのところ。アシストを2人残していたルビレッドジャージのホセ・ビセンテ選手がいきなりいつもの異次元アタック。そこにはさすがに反応できず、ばらける集団の12番手ぐらいで千切れかける。

才田さんと横塚さんの後輪に付きながらもがいていると同時に、単独で飛び出したホセの姿がどんどん離れていく。その後ろ、ざっくりまとまった追走集団がなんとか追う。数えてみると、13人が先行。その後ろ、数メトルの差があって、レオモの二人と私がいる。更に後ろには、選手が一人ひとり登っていく。

あまり連帯を取らず、自分のペースで調整する感じレオモの二人に、何も調整せずにもがいている感じの私が付いていく模様。どれほど付いていっても、回復が出来ない。アクア多摩の選手が一人追いついてきてペースアップを始めるが、私はそれに付いていけず、更に千切れかける。

その後、回復のためにペースを緩めてみるが、遅くなるだけなので、前のペースに戻って何とか登っていく。アイラン選手と佐野選手、そして群馬グリフィンの狩野選手に追い付かれて、また千切られる。どうしても自分のペースが見つからない。ここまで余裕で登ってこられたのに、なんでできなくなってる?と悩みながら、更に馬渡選手、グリフィンもう一人の選手から抜かれる。

それで十分よ、それ以上は許さないと思って踏みなおすも、後ろから追いついてきそう2人の選手の姿を確認。ペースを少し緩めて、残り500メトルで捕まるが、スプリントで絶対に負けないと自信を持って残り250メトルで加速。普段は付いてこないが、今日は得意な登りスプリントでも負ける?やはりゴール手前で抜かれて、25位でゴール。

前半はいつもの調子で予想通りに14番手まで耐えれたが、パワーがどんどん垂れていって千切れた選手に再び抜かれまくった後半。ポイントを獲得するためだけの出場だったのに、どんどん下がっていってポイントを逃がしてしまった。今週の練習から回復しきれなかったのか、普通にVo2maxは良いけどFTPが弱いのか、分からないが、前半のペースを守ることに成功していたら、13位争いのはずだったので、何かうまくいかなかった。

レースシーンへの復帰となった秋吉台ロードレースと調子は同じぐらい良かったにもかかわらず、土曜日でも日曜日でも、良い結果に活かすことが出来なかった。次のレースに向けてもう1段パワーを上げるための練習に努めて、プロの頃に近いコンディションを目指していく。

9月 19 2017

JPT 秋吉台カルストロードレース 11位

久しぶりのレースレポートです。ヨーロッパの頃は、レース毎に書いてましたが、日本語で書くのは、また別のチャレンジなので、優しくしてくださいね。

先ず、真面目にブログを再開した理由としては、自転車選手を再開したからに他ならない。日本に来て一年目は、留学の方に集中していたので、自転車は趣味として、そして日本を発見する手段として乗り続けていたが、やはり練習に専念しなくなると、当然だが体力も落ちてくる。まー、才能のある選手は違うかもしてないけど、私の場合はそうです。そして、2年目はインタープロサイクリングアカデミーのコンチネンタルプロジェクトを立ち上げた一員として、選手をしながら色々チームの運営に務めるというパターンでしたが、環境が悪かったか私の仕事がダメだったか両方か、完全に失敗でした。

ビザ、収入、モチベーション無しで生活するには限界があるので、危険な状態になる前に、責任を持って前向きに考えようと思った。周りの人々、そして自転車業界で知り合っている方々に支えて頂いたおかげて、将来が徐々に明るくなってきている。

ということで先週末、山口県で行われた「第1回秋吉台カルストロードレース」は、東京ヴェントスの黒いジャージを着て初レースだった。初開催のカルストロードレースの特徴として、Jプロツアーで珍しく30キロのコースを5周回って(台風の影響で4周回、合計120キロへの変化となったけど)、ゴールに向かう毎に「カルストベルグ」と名前を付けられた(変な名前にしか思えないけど)1.2キロの激坂を越えざるを得ない。走るのも観るのも楽しいレースが期待されていた。

東京ヴェントスの出走選手は、伊藤、佐々木、大前、高木、ゴーストライダーとして自分。最近の練習で自信が付いたが120キロを超える距離をレースで走るのは6月振りだったので、様子見ながらうまい走りをするという作戦で行くことにした。距離は持つかどうかは不明。

1周目の前半で動くのは無駄だと判断して、予想通り緩い登り区間で行ける雰囲気のある逃げ集団が形成される。足を使わずに、練習で良く世話になっているレオモの古田君に付いていって合流。続いて何人か加えてきて差が広げる。

有力チームから何名かが入っていて、私は一人だったので無理やり先頭交替に加えずに次の動きに備えて脚を溜める。後ろが見えなくなるぐらいまでタイム差が徐々に上がって(それとも雨で何も見えなくて振り向くときに集団が見えなかっただけ) 、どこまでいけるかはまだ分からないけど、とりあえず上手い展開への段階の第1ステップだ。

ホセを除いて選手全員が恐れていた一周目のカルストベルグで先頭集団では動きは特にないが、先行したまま坂を越えるぐらいの差はないことを確認。そうなると登りで前に出た有力選手たちの中からゴールの後のアップダウン区間で逃げが必ず決まる展開になる。ゴールラインを通過する直前、いきなりマトリックスの佐野選手がアタック。「1人でどこに行こうと思ってるかよ」と思っていたが、それは甘かった。頂上のところで15人ほどの集団に吸収されて、その中から予想通りアタックがかかり始まる。

今は勝負だと確信してアタックに乗ろうとするも、一人だけで全ての動きに反応できるわけなく、運もタイミングも悪くて10人ほどが先行して佐野選手に加えてしまう。後ろはまだ諦めないが、下りに入って逃げが有利な展開に変わってしまう。追走しようとすることはあったが、正直あまり確信した動はでなかった。「これは決まった」とすぐ判断して、間違いなく優勝者は先頭に乗っていた。

一旦「このグループは降ろされるんじゃないか」と思うぐらいペースが緩める。有力チームは全部逃げに乗っているし、追走する気があるように見えない。チームメイトが復帰してきてヴェントス4人になるが、皆かなり脚を使っていて、先頭集団を追っていく力はない。追いついてきた集団の中からの手伝いにあまり期待しなかったけど、伊藤君が丁寧にロテーションに入ってきてくれた結果か、ある程度ペースが上がってきてタイム差も2分弱にとどまる。

横塚選手が飛び出したそうな雰囲気がしてカルストベルグを待つが、激坂で飛び出すほどの体力はない。ホセ選手が最も急勾配のカーブのインナーを通って異次元のアタックをするのを横目で見て笑いながら10番手ぐらいでもがく。第3集団から第2集団に復帰することは何回かあるが、第1集団に復帰することはない。

30人ほどに絞れた後ろのペロトンでレースが進んでいくと共に、先頭からの選手が降りてくる。降ろされることになるかと思ったときもあって優勝には届かなさそうだが、上位の可能性は少し見えてきてはじめる。多めに取っておいた補給食を全部食べ切って調子の悪化と脚の痙攣を何とかおさえる。私はクライマーではないので急勾配が5分以上続ける坂は苦手だが、最後の登りはゴールが途中にあるし次の強度を考える必要はないので自信が少し戻ってくる。

最後の下りを5番手ぐらいで終えるようにして、そのまま最後のカルストベルグにぶつける。吉岡選手がとんでもないペースで飛び出していくが、ゴールまでそのペースで行く訳にはいかないしとりあえず仕方ないので気にせずに自分のペースを守る。登りのスプリントで負けることはないので、なるべく前の集団に縋って我慢することを目指していくが、力の差と急勾配の影響が大きすぎて、バラバラになってしまう。元チームメートのフロリアンと一緒に上ることになって、誰かに「11位」と声をかけられる。残り100メートルのところで飛び出して、そのまま11位でゴール。

現状にしては満足できるレースだ思います。逃げが決まった時に悪いタイミングで行けなかったことは悔しいけど、乗ることに成功したとしても距離を持つことはできなかったかもしれない。チームに50ポイントが付いたし、今の調子では力勝負でも良い作戦でもそれより上位に入ることはできなかったと思います。

来週は前橋クリテリウムと赤城ヒルクライム、久しぶりの2連戦です。調子がどんどん上がってきているので、出来るだけ多くのポイントを獲得するように頑張っていきたいと思います。

9月 17 2017

日本語バージョン開設!

ウェブサイトを久しぶりに更新し、日本語バージョンを開設しました!いつも多くの方々が読んでくださっている「外国人選手の意見」、及びニュースやレースレポートを(暇がある次第)書いていきたいと思います。宜しくお願いします!

7月 29 2017

外国人選手の意見 第5回

こんにちは!

いつも真剣な主題について書いているので、今回はもう少し軽い主題にしようと思って、「外国人選手の意見」の第5回記事になった。

毎年の夏、全ての自転車ファンにとって、最重要なイベントはツール・ド・フランスだ。更にフランス人として、夏のない生まれてきてからずっと観慣れてきたツール・ド・フランスは、本当の夏ではないのだ。

しかし、日本人たちには知られていないだろうが、ツール・ド・フランスを放送するフランスのチャンネルは、日本を含めていくつかの国ではネットでも観ることができないので、仕方なく、Jスポーツで観ることにした。

自転車本場であるフランスのテレビでも、解説がつまらなかったり、適当だったり、もしくは間違えたりする場合が多いので、日本テレビにはそれほど期待していなかった。しかし、日本ではツール・ド・フランスがどういう風に見られているかを知りたかったし、展開のない平坦ステージを、どういう風に解説するだろうという好奇心もあって、面白いかもしれないと思いながら観てみた。

放送中、現地からフランス語のドキュメンタリー、生インタービューなどがいきなり送られてきて、私だけ分かっている言語が混ざってくる状況は変な感じだった。

先ず、自転車で有名な日本人は新城幸也と別府史之なぐらいしか分からなかった私は、Jスポーツを見て日本の自転車文化について初めて知ったことが多かった。勿論、偏見だったかもしれないが、正直言って、ローラン・フィニオン、ローラン・ジャラベールなどの解説に聞き慣れている私にとっては、「栗村修」とか「宮澤崇」とかは、ツール・ド・フランスについて割と詳しいだろうけど、きっとびっくりするほどでもないだろうと思っていた。

しかし、少し観てみたら、意外と話がうまく流れて、ミスもほとんどなく、初心者にも理解してもらえるぐらい分かりやすい解説だった。平坦ステージでも、タイムトライアルでも、山岳ステージでも、変わらずレース展開を詳しく分析してくれた。勿論、見えなかったり、言い忘れたりしたこともたまにあったが、「フランステレビよりも面白いかもしれない」と思うぐらい質の高い話だった。

フランステレビと何が違うかというと、先ず解説者が毎日交替すること。予算の問題に関わっているだろうが、結局各ステージを観ている詳しいファンにも、自転車に興味が湧きたての初心者にもその方が面白いし色々学べるだろう。フランステレビと違って、Jスポーツは「自転車文化の普及」という役目を担っている。

その役目で、展開の動かないときを使って、日本の自転車業界、自転車競技の基本、選手たちの生活、そして現場の人たちの行動について色々と説明する。フランスでは、平坦ステージのときは昼寝を避けられないが、Jスポーツはさすがにずっと面白くて目が覚める。

日本の自転車業界は、各プレーヤーが協力せずに自分の利益のことしか考えないパターンが多いが、ロードレースの放送は、自転車のファン、ということは全体的に自転車業界のことも考えてくれていると感じた。自転車競技に興味がある方に、Jスポーツでロードレースを観てみることをお勧めする。ソファーから動かずロードレースというスポーツの難しさと楽しみを知るには最高な機会だろう。ツール・ド・フランス以外にも、色々ロードレースが観られるよ!今晩こそ、「クラシカ・サンセバスティアン」というスペインにおけるワンデイレース、続いて8月下旬からは「ブエルタ・ア・エスパーニャ」という3つ目のグランツールが放送される。

そして、自転車競技がまだマイナーなスポーツという現状の中で、「何がきっかけで自転車に興味を持った」と日本人の若手に聞いてみると、「ロードレース観戦」がよく挙げられるが、1番は「漫画」だということに驚いた私がいる。自転車のことを知る手段として、フランスでは「漫画」が1回も挙がらないに違いない。「文学がきっかけで自転車を始めた」というフランス人はいないと思う。それは、日本でも長所があるということだ。本場から学んで、日本の特徴も考えて、今よりもサイクリングに優しい環境を作っていくことができると思う。

さて、自転車競技、そして自転車そのものの楽しみを大勢の人に伝えてあげて、日本の素晴らしい地形で自転車を盛り上げるように頑張ろう!

5月 19 2017

外国人選手の意見 第4回

今日は、フランス遠征に向かう直前、日本においてサイクリングを管理している組織についてブログを書いた。

この記事は、前から書くつもりだったが、日本ではサイクリングの組織が雑然すぎて今でも全て身に付いたとは言えない。

今まで、世界中で走ってきたが、UCIによる公益財団法人自転車競技連盟が大会を開催しない国を一つしか見つけなかった。日本だ。

日本では、公益財団法人連盟ではなく、いくつかの私設法人によって自転車競技が開催されているということで、日本の自転車界は自由主義というシステムである。経済では、自由主義は当然なシステムのように考えられる。お金を目的にする自由市場では、会社が売り上げに通じて競争する結果、物価が下がると共に、品質が上がるはずであるといわれている。しかし、スポーツ競技では、お金を目的に考えないはずなので、そういったシステムは相応しくないだろう。

フランスでは、100年以上にわたってFFC(フランスサイクリング競技連盟)がサイクリング界を管理してきた。もちろん、それぞれの地域による地域連合会もあるし、他の国内連盟もあるが、自転車競技は全て、基本レベルから国際レベルまで、子供からベテランに及ぶ範囲を対象に、公益財団法人自転車競技連盟によって管理されている。

では、何故このような相違点があるのか?自転車競技を含めて、日本のスポーツ界では、「実業団」という組織がある。「実業団」というのは、競技と会社を繋げるシステムである。野球のように盛んなスポーツの現状から考えてみると、うまく動いているように見える。部活、学連、そして実業団、日本人野球選手には世界への道がほぼ決まっている。

自転車競技における実業団を管理しているのはJプロツアーという組織である。私設法人組織として、利益を目的にしている自由市場によって動くJプロツアーのような組織は、スポーツ競技と共通点がある。例えば、スポーツを発展させるにも、利益をするにも、選手の人数、大会の数などを増やすことが必要である。

ところが、共通点があるとしても、目的は違う。公益財団法人連盟は、利益したお金で、選手、レースの開催者など、つまり自転車界に関わっている他のプレイヤーに向けて投資する。結果としては、エントリーの値段が下がったり、ライセンスの価格が下がったりする。それゆえ、フランスではエントリーが1000円かかるレースは高いと言う。その反面、簡単に言えばただの会社なので、私設法人連盟は、利益したお金で、更に利益をしようとする。無限な悪循環だ。

私設法人連盟は「自転車が発展するには、社会にだんだん自転車の興味をわかせて、メジャースポーツとしてサイクリングを盛り上げることしかない」という論法だ。経済の場では、当然な論法だろうが、サイクリングは経済と違って、単純に売ったり買ったりするものではない。自転車競技に関する需要が増えるからといって、自転車競技全体が発展するわけではない。

私だけではなく、外国の状況を知っている人々はほとんど全員同意だし、尚更、この意見に賛成していながらJBCFに参加している人はとても多くいると思う。その矛盾は、チーム、主催者、選手など、つまり現場で動いている全てのプレイヤーに与えられるお金をJBCFが独り占めしていて、独占状態を作っているからにほかならない。

日本首位を狙っている前年の総合優勝チームが、国内最高峰の大会に登録することもないのは、普通だと思うか?

勿論、JBCFに限らず、JICF、ホビーレース 、つまり全ての私設法人連盟でもそうだ。12キロを回る学連レースが5000円もしたり、15キロほどのヒルクライムが1万円を超えたりすることは普通ではない。日本の社会全体がそういう風に動いているから、スポーツの世界でもそうだと思うかもしれないが、スポーツはビジネスに限らない。ある程度からは、政治の問題と違って、協力状態を立てないと発展していけない、と私は思い込んでいる。

選手としてJBCFを走っている私自身は、この辛い現状の影響を受けていることに気が付くこともない若手選手、ボランティア、ホビーレーサーの方々には申し訳ないと思うようになってきている。成績を重ねていけばいくほど、声が届くのではないのかと思うので、これからも変わらずJプロツアーを走っていく。

11月 28 2016

外国人選手の意見 第3回

「外国人選手の意見」を、毎回沢山の方々に読んで頂いている様でありがとうございます!

そしてその購読者の多さから、もし自分の今までの経験を日本のサイクリング界にシェアすれば、役に立つかもしれないことに気が付きました。という訳で、月刊にしようかなと思っています!これからは、毎月日本の自転車界に関する一つ一つの点を議題に、書いていこうと思います。

第三回の記事を書こうと思ったのは、偶然、私のニールプライド南信スバルサイクリングチームがよく参加する「Coupe de AACA」というレースのWEBサイトに載っている「コンセプト」の説明ページを読んだからです。そのページは、フランスで走った経験があり、同じようなレースを日本でも行おうと思いCoupe de AACAの主催者になった、加藤康則様が書いたものです。とても良い考えだと思いますので、そのレースのことをご存じではない方でも、是非ご覧になってください。

http://www.coupedeaaca.com/コンセプト

私は、そのレースに二回参加したことがあり、二つの違うコースを走りました。一つ目の長良川サービスセンターというコースは、5キロぐらいの平坦なコースで、100キロぐらい走ります。そのコースは確かに、フランスにおけるレースの展開と少し似ています。しかし、実は、毎回展開が同じであり、それに気が付く選手は、毎度必ず逃げに乗ることが出来ます。

最初は、みんなが全力で逃げに乗ろうとして、なかなか決まらない展開になっている様な時に、先頭集団が出来て逃げが決まります。なぜいつも同じかというと、スタートしてすぐ、平坦なコースでほとんど誰でも前に出られて逃げに乗ることができますが、40分ぐらいが経つと、疲れる選手と疲れない選手がおり、60名だけの集団ではとても決めやすくなります。そのことを知っている選手は、たとえ弱くても逃げに簡単に乗ることができます。

ところがそれは、フランスにおけるレースの展開は、似ているとは言ってもやはり違います。フランスでは、40分ぐらい経つと、レースの展開が変わる可能性が高いことを知っているので最初の方に動く選手と40分が経ってから動く選手がいます。だから、レースの展開を予想するのは難しいのです。。

そして、二つ目のいなべというコースは、2キロもない、コーナーと坂が多いコースです。長良川サービスセンターのコースよりキツくて、Coupe de AACAは5人くらいしか完走できないというレースなのでいつも人数が少ないレースになります。それに、意外とフランスのクリテリウムのように距離が長いので、大人数での正しい走り方が分かるチームが参加すると、簡単に勝つことができます。この手順を説明します。

最初から逃げようとします。逃げに乗っている選手の人数が他のチームの選手の人数より多くない限り、ローテーションに入らない様にします。距離が長いため、いつか必ずその状況になります。そうなると、もう一回逃げに乗っている選手達は再びアタックしさらに逃げようとします。同じチームの選手だけの先頭になるまでに繰り返します。そこで、他のチームの選手が全力で追い付こうとしている間に、メイン集団に残っているチームメートは勿論ローテーションには加わらず、他チームの選手達が疲れることを待ちます。先頭集団にメインが近づいたら、キツいところでアタックして先頭に乗ります。 こうやって、逃げに乗っている味方チームの選手の人数がどんどん多くなるとともに、相手チームは消耗している為レース展開は楽になっていきます。

その走り方をしたおかげで、このコースに2回参加して、一回目(第4戦)は1位、2位と3位になり、二回目(第7戦)は1位と2位を獲得しました。

そういえば、こういうチームでの走り方に関して、外国人選手の意見第一回ではCoupe de AACAで見てびっくりしたことを書きました。

愛三工業レーシングチームの選手達は大人数で逃げに乗ったにも関わらず、メイン集団も愛三工業の選手達が牽引し、結局私のチームメートのJayson Valadeに負けました。つまり、自分達の逃げを自分達で潰して負けたのです。 しばらくして、日本人のチームメートに愛三の選手からのメッセージを伝えてもらいました。愛三にとっては、Coupe de AACAのレースは練習レースだから、監督が指令として勝利を目指すのとは別に、全力で走ることを伝えたそうです。 しかし、練習というのはどういうものですか?練習だからこそ、みんなの力が合わせやすい、レベルの低いレースでチームとして走る練習をしないと、上のレベルではどうやって同じようなことが出来るようになるのですか?

我々は、レベルの低いレースでも、レベルの高いレースでも、良い結果を得る為に一生懸命頑張るべきだと思っています。 フランスでは、優勝を何よりも目指しています。でも、優勝することが出来ない場合もあることを考えない様にするというのは間違いです。そのように考えると、優勝がもうできないからーと、諦めてしまうことになるでしょう。20位という結果だけで満足する選手も勿論います。

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11月 02 2016

外国人選手の意見 第2回

日本は、世界のGDPランキングの中で3番目の順位です。人口は1億2700万人(フランスの倍) でありながら、ワールドツアーレベルで活躍している選手の人数は2人のみです(フランスより26倍少ない)。

現在、日本人選手でプロを目指す者ならばいつか海外へ行きヨーロッパでのサイクリング界へ挑まなければならない、それが当然のことのように考えられています。

日本では、自転車界全体のお金が無いわけではないし、才能のある選手がいない訳でもありません。毎年、さいたま市はツールドフランス・さいたまクリテリウムに世界レベルの選手を招集するために、何億円も投資しています。片山右京氏が自ら創設し指導しているチームのように、レベルの高い組織も存在しています。

では、それにもかかわらず、何故なかなか日本人の世界レベルのプロ選手が出て来ないのか?日本は一体どんなミスをしているのか?

原因はきっと色々あると思います。

まず、ヨーロッパでは自転車競技連盟が複数ある国は存在しません。日本では、2つでも3つでもなく、5つも(!!)あります。この様になっている原因は自転車の歴史、文化の違いによるものだと思いますが、最も大切なことはそれが選手のためになっているのか?ということです。エントリー費、ライセンスの申請費、レース数、組織のレベル等を見ると、選手第一で組織されているとは思えません。もちろん、これらの組織は自転車競技の発展を大切にはしていますが、結局は自転車社会の為ではなく、自らの会社のために動いているように見受けられます。

また、シマノレーシング、那須ブラーゼン、宇都宮ブリッツェンのように外国人が加入できないチームがいくつかのあります。勿論、これらのチームの指針や方針があるとは思います。国内では、彼らは最も強いチーム達です。しかし海外に出て見るとその差は大きく、上にステップアップしていく様な選手もあまりいません。例え、プロになる意欲と才能がある日本人選手がいても、この様なチームに加入すれば、国内レベルに留まってしまいます。 もしくは、海外に行ったとしてもなかなか適応できず、海外レースを走ったというだけで沢山のことを学べる訳ではありません。

日仏サイクリングクラブ結成から、ニールプライド南信スバルサイクリングチームとなるまで10年に渡りチームの母体は存続してきました。その中で、「フランス人選手と日本人選手が共に生活し日々を重ね、自転車の文化を学んでいくことができる環境を与える」というプロジェクトを継続して行ってきました。チームは今年、Jプロツアーでのチームランキングで22チーム中5位、UCIコンチネンタルチームを除いた中では一位になりました。我々の後ろにはいくつかのUCIチームがいます。それにも関わらず、日本人選手からの加入の応募は…一件しかありませんでした。

選手、連盟、他チームに考えていただきたいです。 本当のプロ選手を育てたいのならば、その高い志望に合わせて行動するべきです。

よろしくお願いします。

5月 26 2016

外人選手の意見

フランス出身の22歳のトム・ボシスです。今シーズンはジャパンプロツアーに参戦するニールプライド・ナンシン・スバルの選手だけでなく、東京都における中央大学の留学生として去年の9月に来日しました。その時から、日本語の腕を進ませると共に、JICF、またはJBCFに行われたいくつかのレースに参加しました。それで、色々な観察ができました。特に、日本人によって普通にみられること、外国人の選手によって変にみられることなどを表したいと思います。

2014年AG2Rディベロプリントチームで、または去年ルーマニアにおけるTusnad Cycling Teamコンチネンタルチームの経験で自転車文化をよく分かるようになりました。日本では、カレンダーも、レベルも、走り方も全く違いますが、それより一番驚いたのは規則のことです。

初めて日本でレースに出た時は、大学のチームでJICF のレースでした。チームメートに良く迎えてくださったが、規則のことは気にしないでサインに行きました。まず、ゼッケンは5センチ離れなければいけないように注意されたということで、付けなおした。それは、ヨロッパでもたまに言われることですが、また戻った時に、ヘルメットの中のスタンプが付いていなかったので、再びサインすることは断られました。もちろん、かぶっていたヘルメットを何度もUCIレースで使いましたが、日本では安全がもっと厳しいかもしれないかと思って、必死に使えるヘルメットを探して走り回っていった。チームメートに尋ねたら、「気にしないで、まだ使ってないスタンプが残っている」と言われて、ヘルメットに貼ってもらいました。まさかこれで行くつもりじゃないと思った。実際に、それより、ちょうど同じヘルメットを同じ人に確認されて、「ヘルメットはOKですが、ベルはどこにありますか?」と言われました。一瞬、冗談かとおもいましたが、反応がなくて、まじめに言われたと分かりました。

マジで、ベルで何をするはず?集団の前に上がるとき鳴らすはずですか?

フランスでも、規則の変な点もいくつかありますが、日本では誰にも変に見られないということに本当に驚きました。今は、ベルの話を海外の友達に語ると、笑いますが、意味がないだけではなくて、そのようなことのせいで、選手、スタッフ、組織者などが力や時間を山ほど無駄にしています。ベルの確認する内に、コースの危険な所が掃かれていないで、落車が起きてしまいます。それ以上の意味がない規則の点が溢れています。コースで何時間前でも練習できなかったり、クリテリウムやヒルクライムのエントリーを9000円払ったりするのは日本で普通なことながら、それには日本人だけ驚きません。

なんで日本は世界中の有名な選手がまだ一人もいないのですか?なぜ経済的に、発展的に日本と争っている国はレースで届けられない敵になっていますか?日本人はユロッパ人より強くない訳ではないですよね。新城幸也、別府文之のような選手の存在で、ありえないことではないとわかっていますが、小人数ですし、ワールドツアーで勝てる選手はまだいません。

日本では自転車競技連盟はいくつかあって、全員はお互いを手伝う代わりに、競争しています。それで、カレンダーは複雑で、資金が少なくなって、被害を受けているのは選手です。日本では、スポーツを始める時は大抵部活ですよね。大学を卒業するとき、仕事はスポーツより大切なことだとみられるので、プロになる可能性にもかかわらず、大半が辞めます。または、日本やアジアではプロになっても、稼げるお金が少ないし、栄光も低い。やはり、ユロッパはその利点があります。

それでも、幾人かが懸命にプロ選手になる夢が叶うように頑張っています。その選手は、敵としてジャパンプロツアーでよく会います。一生懸命努力していることが分かっていますが、間違っているところがかなりあります。栄養はほとんど悪いし、練習も適当に計画していないし、走り方も時々本当に面白いほど違っています。先週のキナンCoupe de AACAレース、決まっている14人の逃げではニールプライドのフランス人選手は2人で、愛三工業サイクリングチームの選手は5人。懸命に逃げ出そうとするより、50キロにわたってずっとお互いを追いていました。結局は、私のリーダーが優勝で、愛三の選手は2位。フランスではそういう走り方をすれば、監督に一週間ぐらい叱られます!

日本人の選手はそのようなことを意識するのかな?この状況ではニールプライドのようなフランス人も日本人も混ざっているチームが存在するのはとても良い機会だと思います。それでも、ユロッパからの志願はとても多いながらも、日本人には全然人気がありません。フランス人の選手にも、スペーン人の選手にもいっぱい習えると思います。

日本人の選手、観戦する方、興味を持つ方、レースや東京で会うのを楽しみにしています。よろしくお願いします!