東京2020自転車ロードレースの「観戦禁止エリア」について
東京2020自転車ロードレースの「観戦禁止エリア」について

東京2020自転車ロードレースの「観戦禁止エリア」について

先週末、オリンピック組織委員会の方から東京2020オリンピック自転車ロードレース競技のテストイベントの「観戦禁止エリア」について公表がありました。結論からいうと、山梨県に関しては、道志村は道志みちの駅蕗周辺、山中湖村は平野湖畔と山中湖畔のみ観戦可能ということが明らかになりました。基本的には、道路上の観戦は危ないと見なされ、歩道のない区間は全て観戦禁止となっている設定です。結果として、コース上のどこを見ても、1km以上の登りで観戦できる区間は一つもありません。

極端に言えば、オリンピック組織委員会のスタンスは以下の通り︰

・競技フィールドに進入することは危険です。

・事故があった場合は、責任が主催側にあります。

先ず、それらの

対策の実現性に関して疑問を持っています。

・道路上の観戦は禁止されますが、道路の脇は、禁止することが難しいでしょう。森の中から観戦すればいいのではないか、ハイキングコースを使って見ればいいのではないか、あるいは隣の土地に入って観戦すればいいのではないかという行動が発生するでしょう。

・距離もあって、安全確保を任される多くのスタッフは警備員ではなく、一般のボランティアです。その方々がどこまで対応できるかが予想できません。

・更に、海外から多くの来客が見込まれています。彼らは、「観戦禁止エリア」があることなんて想像すらしていないので、非常にがっかりするだろうし、彼らを抑えるのも簡単ではないでしょう。

・前例のない基本のロードレース開催なので、新たな基準となる部分が多く出てくるはず。本来、必要のないところに大勢のボランティアを配属するというのは、今後大規模の自転車大会を開催したときには、ハードルがとても高くなります(無理に近いです)。

オリンピックは、国家予算を使って開催されています。日本国民のお金を使う上では、社会に貢献できる前提での開催と

なります。オリンピックを開催するメリットとして、大きく2つがあります。

1.スポーツの普及

2.日本のPR

もちろん、完全に観戦できないわけではありませんし、放映されるわけでもあります。但し、そこで大きな問題点が2つ出てきます。

・1.スポーツの普及︰観戦できる平地区間は、集団が一瞬で通過して終わるので、慣れていない住民に競技の魅力を伝えることが出来ません

・2.日本のPR︰自転車競技を見慣れている世界中の視聴者がスカスカな道で開催される大会を見てとても驚きます(理解できません)

自分としては、つまり、スポーツの普及に失敗した上では、日本が世界に恥ずかしい場面を見せることになるのではないか、ととても心配しています。そうなってくると、わざわざオリンピックを開催する意味までなくなるのではないかというところまで考えさせられます。とても軽視できる次元の話ではないでしょう。

7月21日にテストイベントが同コースで開催されるわけですが、個人的には、失敗した方がいいのではないかとまで思うようになってしまいました。

私が自転車の選手になろうと思ったきっかけは、フランス国民として、思わず「自転車文化」に馴染んでいたからです。いわゆる「自転車の本場」(フランスではそんな表現は一切ありませんが)では毎年、2ヶ月間も続く夏休みが始まるのと同時に、世界最大の年次スポーツイベント「ツール・ド・フランス」が開幕されます。3週間に渡って、世界のトップ選手が自国の道路を駆けつけて、そしてそれは朝の9時から夜の6時まで公共放送を独占しています。何よりも、「ツール・ド・フランス」を生で見たことのないフランス人は珍しいです。なぜなら、無料で近くまで通ってくれるからです(「フランス一周」という意味ですからね)。130年以上の歴史を持つそんな自転車競技は、昔から「民族に一番近いスポーツ」として知られています。

道路沿い(あるいは道路上)で観戦するのが自転車競技です。言い方を変えれば、一般的には、自転車競技ロードレースの場合は、道路沿いで観戦できないケースはありません。自分が知っている範囲では、道路上の観戦が唯一禁止されたケースは2015年のLacets de Montvernierという峠です。理由としては、道路が狭い(4メートル)上で、ヘアピン(lacets)が連続していたからで、実験の意味も含まれていました(逆に、通常観客が溢れている登りで誰もいないのが新鮮で、放送時に意外な静寂が話題になりました)。それ以外は、毎年1億人超えの客数を誇るツール・ド・フランスは、観戦を禁止した事例はありません。もちろん、世界最大の自転車ロードレースイベントで観戦禁止エリアが設けられることが一切ないということは、格下の大会でもそんなケースはないというまでもありせん。

日本国内は、ヨーロッパと違って、そういった「自転車文化」は存在していなくて、自転車ロードレースもマイナースポーツと呼ばれています。それは、歴史や文化、様々な理由がありますが、社会の違いが大きく関係していると思われます。特に、欧州では「民族に最も近いと言われるスポーツ」=良い意味で「社会性の最も高いスポーツ」は、日本になってくると悪い意味で「民族に対して一番負担が大きいスポーツ」になってしまいます。「自分の家の前に来てくれる、無料で楽しめる理想の娯楽」から「長距離に渡って生活道路を止める分、儲けもしないスポーツ」という捉え方に変わります。それは、メジャー・マイナーの話以前にも、このスポーツの概念に関して(欧州の成功の理由に関して)の理解不足を表していると思います。

自分が思うには、「責任」に対する考え方が極端に異なることが、一番大きいのではないかというのがあります。ヨーロッパでは「自己責任」が基本となっていて、責任が行動を起こす人間にあります。日本では責任はグループ側が負って、環境を設ける人間にあります。その結果として、「問題があった場合」に対する考えが行動に先立って、否定から入るシステムが普及しています。自転車に限る話ではありませんし、「社会としてはありなのではないか?」という考えもあれば、「国際化に接するのであれば、否定から入るのでは意味がない」という考えもあるでしょう。

歴史の中では、どの国を見ても、オリンピックが黒字で終わることは一切ありませんし、むしろ社会に多くの被害が出る事例も多くあります。東京2020の開催は、世界中に日本の魅力を発信するために決まったはずです。オリンピックを開催する意味を、忘れられているような気がします。